日本橋と富士山

日本の道路の基点である日本橋は、1604年に徳川家康が五街道(東海道・中仙道・甲州道中・奥州道中・日光道中)の基点として架けたものでした。現在、橋の中央には日本国道路元標が埋められています。

徳川幕府の都市計画の真髄を見せる風景を描いている葛飾北斎の冨嶽三十六景「江戸日本橋」や、日本橋、江戸城、富士山が一枚の絵に描かれている歌川広重の最晩年の作品、名所江戸百景の第一作目として描かれた「日本橋雪晴」など、日本橋と富士山は現在にも有名な浮世絵が伝わっており、江戸時代から密接な関係があったといえます。

では実際江戸時代、日本橋から富士山は見えたのでしょうか?

橋としての日本橋からも見えるには見えたようですが、日本橋界隈でもっとも眺めがよかったのは越後屋のあった駿河町の通りからだったようです。江戸の中心地では、できるだけ江戸城と富士山が見えるように都市計画がされていたといい、歌川広重作、名所江戸百景の「する賀てふ」では、越後屋呉服店を両脇に雄大な富士山が描かれています。

現在は首都高で空が塞がれている日本橋ですが、「首都高地下化」計画が進められており、巨額な費用投資や交通インフラなど、色々な面で賛否両論があるようです。     

K・N

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