ちょうどよい

おはようございます。
コンフィデンス日本橋の福島です。

先日 高校の同窓会で京都に旅行をしました。
そのときに「京都 大原三千院 恋につかれた女一人~♪」の三千院を見学して、そしてその近くの宝泉院にも行きました。(写真は宝泉院のお庭を写したものです)きれいなお庭で、お抹茶をいただいて、まったりした中で、こういうもの言葉が書いてある額があったのです。

「お前はお前で丁度よい
顔も体も名前も姓もお前にそれは丁度よい
貧も富も親も子も息子の嫁もその孫もそれはお前に丁度よい
幸も不幸もよろこびも悲しみさえも丁度よい
歩いたお前の人生は悪くもなければ良くもないお前にとって丁度よい
地獄へ行こうと極楽へ行こうと行ったところが丁度よい
うぬぼれる要もなく卑下する要もない上もなければ下もない死ぬ月日さえも丁度よい
仏様と二人連の人生丁度よくないはずがない
丁度よいのだと聞こえた時憶念の信が生まれます」

さあ、みなさんはこの「ちょうどよい」をどのように理解するでしょうか。
感想をお聞きしたいところですが、それはいつかの機会にということで、今日はこのあたりで失礼します。

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